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推薬に点火した。電気箱はバッテリーの納められた木製の箱であり、「安全」「点検」「発火」の切替装置が付いていた。発火電流は300ミリアンペアであった。 噴進用推薬は中央部に孔を開いた筒状のもので、直径47mm、孔径10mm、全長650mm、重量1.78kgである。これを37本弾体内部に納めた。推薬
準は簡易な固定式で、射程50mと100mの二種の照星が用意されていた。後方には砲を支える脚托架と脚(共に九九式軽機関銃と同じもの)が付いている。脚は開閉式で持ち運ぶときには前方に閉じることができる。また脚托架には脚を固定する凹みが二ヶ所あるため、脚の角度を変えることができ、必要に応じて高姿勢と低姿勢をとることができる。
乾氏の調査研究により、二十八連装噴進砲については試製であり、正式採用された兵器ではなかった。そのため正しい名称は『試製十二糎二十八聯装噴進砲』という。 四式焼霰(しょうさん)弾(ロケット式焼霰弾、通称ロサ弾)を発射する多連装ロケット砲である。 ロサ弾はロケット弾の一種で、着火すると1.1秒燃焼し飛翔、5
被套されている。ライフリングは60条、傾角は7度である。砲身命数は3,000発である。 砲尾の閉鎖機は段隔螺式である。開くにはロックを解除した後にレバーを引く。このとき薬室に対して閉鎖器の螺体が12分の1回転し、自動的に噛み合いが解かれ、閉鎖器が右側に開かれる。
二式十二糎迫撃砲(2しき12せんちはくげきほう)は、大日本帝国陸軍の迫撃砲である。実際の制式制定は1943年(昭和18年)8月であった。 本砲は迫撃砲隊の主火器として制定された滑腔砲であり有翼弾を発射する。 従来の中迫撃砲は九六式中迫撃砲が722kg、駐退復座機を省いた九七式中迫撃砲も木材副床板を
動力源による水圧駆動で俯仰・旋回動作を行い、電力・圧縮空気も艦内から供給されていたことから、要塞砲としての設置にあたり、これらの動力源を確保するため砲塔の地下に動力室を設け、内燃機関で駆動する水圧ポンプや発電機、空気圧縮機を設置した。一号砲の例では水圧動力
甲板の前端左右に1基ずつ搭載された。仰角は70度で一応対空射撃もできるように考慮されていた。一方装甲は25mmNVNC鋼板で断片防御程度であった。以降の連装砲塔も装甲は全て25mmNVNC鋼板である。 「赤城」「加賀」のいずれの砲塔も三段式甲板を全通甲板
大架と接続し、俯仰運動を可能にする。大架は火砲を砲塔に固定し、小架以上の俯仰運動のため砲耳室を形成する。照準具は上部に望遠鏡式の照準眼鏡を有する鼓胴表尺式で揺架左側に装着する。重量は砲身及び砲尾66kg・装着品を含めた揺架47kg・小架10kg・大架11kgの合計135kgであった。