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仕切りを設置する改造を行う。このさい、仕切りのみ設置した10 t 積木造有蓋車がワ300形、仕切りの設置と車内高さの変更を行った10 t 積木造有蓋車がワ350形となる。さらにワ300形のうち12 t 積に変更したのがワ400形となる。その後の景気回復によりワ300形のうち24両が仕切りを取り外し、元の15
河線で運用される。1954年(昭和29年)に名古屋鉄道が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡すると、渥美線に所属していた2両(トム899・トム900)は豊橋鉄道へ移る。残る98両は1955年(昭和30年)時点では東部線に18両、西部線に10両、三河線に70両が在籍し、全てが国鉄直通貨車であった。その後一部は瀬戸線
空気制動を設置し、国鉄直通貨車であった。 戦時中に一部は糞尿輸送用貨車として75石(約13.5キロリットル)の木製タンクを取り付ける改造が行われ、貯溜槽のある今村駅、国府宮駅、布袋駅、猿投駅、大清水駅、黒川原駅から積込所のある堀田駅と西枇杷島駅の間で運用された。
と名鉄に引き継がれる。1941年(昭和16年)にトム950形(トム951 - トム960)に改番する。 戦後は瀬戸線で国鉄直通貨車として運用され、空気制動の設置の改造がされている。昭和30年代後半には一部が私有貨車となる。 国鉄の貨物列車の速度がヨンサントオダイヤ改正により75
タサ522)が新潟鐵工所にてそれぞれ製造された。 ア27570形からの改番車は附番の誤り(積載荷重が19tの為タラ(17 t - 19 t)に附番すべきが、タサ(20 t - 24 t)へ附番されてしまった事により1931年(昭和6年)2月12日にタラ1形ヘ再附番(タサ504 - タサ522→タラ13 - タラ31)が行われた。
車)である。 タ500形は、1928年(昭和3年)5月の車両称号規程改正により、ア1530形10両(ア1530 - ア1535、ア1537 - ア1539、ア1543→タ500 - タ509)を改番し誕生した形式である。 1908年(明治41年)に7 t積み二軸油槽車として新潟鐵工所にて15両(ナ8
国鉄タム500形貨車(こくてつタム500がたかしゃ)は、1931年(昭和6年)から製造された、15t積みガソリン専用の二軸タンク貨車(私有貨車)である。 本形式と同一の専用種別のタム3000形、同一の車体構造で同時に製作された石油類専用タンク車タム700形、タム800形、タム4000形
。私有貨車では、この車両が製作された時点で既にこれを上回る荷重のものが存在していた。 設計はシキ100形をベースにしたものとなっている。低床式の梁は、溶接構造で組み立てられている。全長は27,200 mm、低床部の長さは6,000 mm、低床部のレール面上高さは892