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停留場付近で堀川東岸へと出ると、以降終点南陽館前停留場まで堀川沿いを進んだ。 氷室新田停留場から開東橋停留場を経て竜宮町停留場に至る区間は、東側に貯木池が広がっていた(現存せず)。竜宮町停留場は国道23号との交差地点あたりにあたる。終点南陽館前停留場は、現・名古屋市立東築地小学校の手前あたり。停留
1908年(明治41年)11月9日 - 公有水面埋立地より、南区築地が成立。 1925年(大正14年)4月1日 - 一部(名古屋港築港一号地・二号地)が中川町・磯端町・千鳥町・宝来町・元町・高砂町・稲荷町・真砂町・港本町・西倉町・浜町・北倉町・南倉町・入舟町・海岸通となる。 1937年(昭和12年)10月1日 -
野立築地口線(のだてつきじぐちせん)は、かつて愛知県名古屋市に存在した、名古屋市電の路線(路面電車)の一つである。同市熱田区の日比野停留場から港区の築地口停留場までを結んでいた。 野立築地口線、別名“博覧会線”は名古屋汎太平洋平和博覧会開催に伴う市電の輸送力増強のために建設された路線である。博覧会
柳橋 - 泥江町 - 〔志摩町〕 那古野町 - 菊井町 - 菊井通四丁目 - 押切町 押切浄心連絡線 押切町 - 天神山 - 浄心町 明道町線 明道町 - 菊井町 行幸線 明道町 - 景雲橋 - 名古屋城 東片端線 名古屋城 - 大津橋 - 東外堀町 - 東片端 - 飯田町 - 平田町 上江川線 〔志摩町〕
御園門へ至る区間については、名古屋駅と名古屋離宮(名古屋城本丸のこと)を結ぶ行幸啓道路にあたることから、幅員を予定の8間ではなく10間(18.2メートル)へと拡張することとなった。1913年(大正2年)3月ごろ、行幸啓道路は竣工した。 道路整備の一方、路面電車整備は1898年(明治31年)より名古屋
- 笠寺駅前停留場間の笠寺延長線(かさでらえんちょうせん)、笠寺駅前停留場から港区の大江町停留場間を結んでいた東臨港線(ひがしりんこうせん)についても記述する。 笠寺線、笠寺延長線、東臨港線はともに「南部循環線建設工事計画」によって太平洋戦争中に開業した(1928年(昭和3年)3月に特許を取得し、
押切線(おしきりせん)は、かつて愛知県名古屋市に存在した、名古屋市電の路線(路面電車)の一つである。同市中村区東部にあった柳橋停留場と、西区にあった押切町停留場を結んでいた。 市電の前身名古屋電気鉄道の2番目の路線として1901年(明治34年)に開業。1922年(大正11年)に名古屋市電気局(194
東郊線(とうこうせん)は、かつて愛知県名古屋市に存在した、名古屋市電の路線(路面電車)の一つである。同市中区の鶴舞公園停留場から昭和区高辻停留場を経て瑞穂区の堀田駅前停留場に至る区間と、高辻停留場から同区滝子停留場までの2区間で構成された。 空港線上を南北に走る路線の一つ。名古屋市電気局(後の交通局