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(1)律令制で, 内侍司の職員である尚侍(ナイシノカミ)・典侍(ナイシノスケ)・掌侍(ナイシノジヨウ)の総称。 本来は天皇の日常生活に供奉(グブ)する女官であるが, 平安中期には, 妃・夫人・嬪(ヒン)ら天皇の「妾」に代わる存在となり, また, 単に内侍といえば, 掌侍をさし, その筆頭者を勾当(コウトウノ)内侍と呼ぶようになる。
主殿の中に設けた警護の武士の詰め所。 うちざむらい。
「ないふ(内府)」に同じ。
(1)内大臣の別名。 だいふ。
府内町 – 大分市中心部の地名。豊後国の府内に由来。 府が置かれた場所、府の内側。府下。 江戸時代の江戸市中のこと。「御府内」、「江戸御府内」、「府中」とも。 地方自治体の府(大阪府、京都府やかつての東京府等)の地域内。「府下」とも。 日本の姓のひとつ。熊本県菊池郡大津町に集中して存在する。 「府内」で始まるページの一覧
弁内侍(べんのないし、正体字:辨內侍、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の女流歌人。『弁内侍日記』の作者。女房三十六歌仙の一人。藤原信実の娘。藻璧門院少将の妹、後深草院少将内侍の姉。後深草院弁内侍(ごふかくさいんの べんのないし)とも呼ばれた。 1243年(寛元元年)8月、後嵯峨天皇の皇子久仁親王は生後
内侍司(ないしのつかさ)は、日本の律令官制における役所の一つ。令によって定められた後宮十二司の一つであり、女官のみによって構成される。 内侍司の女官は天皇に近侍し、奏請と伝宣(内侍宣)、宮中の礼式等を司った。天皇の秘書役とも言うべき重要な役職で、学問・礼法に通じた有能な女性が多く任命されたようである。
馬内侍(うまのないし、生没年不詳)は、平安時代中期の女流歌人。源時明の娘であるが、実父は時明の兄致明(むねあきら)と考えられている。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人。 斎宮女御徽子女王(村上天皇女御)、円融天皇中宮媓子、賀茂斎院選子内親王、東三条院詮子(円融天皇女御)、一条天皇皇后定子に仕えた