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数多くの華やかな行事・儀式の舞台となっている。源氏と紫の上の没後、女三宮は三条宮に移ったが、孫の女一宮が東の対に住み、同じく二宮も寝殿を休み所とした(匂宮)。 夏の町は花散里と夕霧が住み、後に玉鬘が西の対に加わる。夏向けに泉があり山里風に木々を配し、南側に池、東側に馬場殿と馬屋が設けられている。馬
(1)平安時代以降, 天皇の命を伝える文書。 詔勅に比して内輪のもの。 内侍(ナイシ)が勅旨を蔵人(クロウド)に伝え, 蔵人が上卿(シヨウケイ)に伝え, 上卿が外記(ゲキ)または弁官に伝え, そこで文書にした。
(1)「六斎日」の略。
官宣旨(かんせんじ)とは、弁官下文(べんかんくだしぶみ)とも呼ばれ、平安時代に太政官上卿の口宣を弁官が諸国・寺社に対して発給する下文。官符・官牒の代用として用いられた。 太政官が出す公文書は原則外記局が作成するが、官宣旨は諸国・寺社との窓口である弁官局が発給する。従って、外記局を管轄する少納言が持
上皇または法皇の命により, 院庁の役人の出す公文書。 天皇の詔勅に相当する。
子の変で嵯峨天皇側が勝利した後、誓いどおりに娘の有智子内親王を斎王としたのが賀茂斎院の始まりであると言われるそうである。 伊勢神宮の斎王(斎宮)に倣い、歴代の斎王は内親王あるいは女王から選出され、宮中初斎院での2年の潔斎の後、3年目の4月上旬に平安京北辺の紫野に置かれた本院(斎院御所)に参入する。こ
(1)平安京の条坊の一。 また, 東西に通じる大路の名。 六条大路。
牛車宣旨は承平2年(932年)に健康を害した藤原忠平に出されたものが最古とされている。なお、人臣に対する牛車宣旨は、高齢もしくは病身の高官の身体を労わる意味合いを含んでおり、摂関家において若年で牛車宣旨を受けた場合においても40歳を過ぎるまでは牛車で宮門を通過することを遠慮したという。 鈴木敬三「牛車宣旨」(『国史大辞典