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太平洋戦争で伊号第百七十五潜水艦は米護衛空母リスカム・ベイ撃沈という戦果をあげたが、2隻とも戦没した。 1942年(昭和17年)5月20日に改称、艦番に100を加えた。 伊号第百七十四潜水艦 ← 伊号第七十四潜水艦から改称 1938年(昭和13年)8月15日竣工(
伊四十型潜水艦(いよんじゅうがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。巡潜乙型改1(じゅんせんおつがたかい1)とも。本艦級の潜水艦は伊号第四十潜水艦から伊号第四十五潜水艦までの6隻が1943年から1944年にかけて竣工し、太平洋戦争で全艦戦没した。設計は伊十五
伊号第四百四潜水艦(いごうだいよんひゃくよんせんすいかん)は、日本海軍の未成潜水艦。伊四百型潜水艦の4番艦。太平洋戦争後に解体された。 改⑤計画の潜水艦特、第5231号艦型の5番艦、仮称艦名第5235号艦として計画。1943年11月8日、呉海軍工廠で起工。 1944年6月5日、伊号第四百
1943-44年のマル戦計画により太平洋戦争末期に建造された潜水艦。潜航時の船体抵抗を抑えた設計、ドイツより技術導入した溶接に適した高張力鋼St52による全溶接船体構造 、そして建造期間短縮と大量建造に適するブロック建造を取り入れ毎月1隻の完成を目標としていた。23隻が計画され、8隻が起工
1942年12月16日竣工(呉) - 1943年8月1日沈没認定、米側記録なし(ソロモン方面) 呂号第百八潜水艦 1943年4月20日竣工(川崎) - 1944年5月26日、米護衛駆逐艦(アドミラルティ北方) 呂号第百九潜水艦 1943年4月30日竣工(川崎) - 1945年4月25日、米上陸用輸送艦(沖縄南方) 呂号第百十潜水艦
伊号第四百潜水艦(いごうだいよんひゃくせんすいかん)は、第二次世界大戦中の大日本帝国海軍の潜水艦。伊四百型潜水艦の一番艦。 潜水空母と俗称される本艦は、独創的な構造で3機の特殊攻撃機『晴嵐』を搭載し、かつ、地球一周半分の長大な航続距離を持っており、日本海軍最高の秘密兵器といわれた。この能力は、アメ
伊五十四型潜水艦(いごじゅうよんがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。巡潜乙型改2(じゅんせんおつがたかい2)とも。本艦級の潜水艦は全部で3隻建造され、1944年に竣工し、伊号第五十八潜水艦を除いた2隻は太平洋戦争で戦没した。主として回天特別攻撃に従事した。最大の戦果は伊号第五十
1940年(昭和15年)12月21日:第7潜水隊司令長井満大佐。 1941年(昭和16年)10月15日:第7潜水隊司令島本久五郎大佐。 1942年(昭和17年)5月1日:第7潜水隊司令玉木留次郎大佐。 1942年(昭和17年)8月20日:第六艦隊付属。解隊された第2潜