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これら2形式についてはいずれの前面にも、屋根中央部に半分埋め込まれた流線型ケーシングに覆われた前照灯が設置され、その左右両側には当時の関西私鉄の一部で多用された押込式通風器が取り付けられ、左右の車体裾部に何故か取り付けられていたアンチクライマー[注 6][./京阪1000型電車_(2代)#cite_note-6
1000型(初代)に引き続いて、1926年から1928年(昭和3年)にかけて22両が製造された。登場当時は3枚窓非貫通の両側運転台付で、側面割付は dD6D6Dd(dは乗務員用扉、Dは客用扉、数字は窓の数を指す)、台枠はトラス棒付であった。1501 - 1505は日本車輌製造製、1506 -
た。連結面も広幅貫通路を踏襲した。 屋根上通風器は在来車と同じ箱形の押込式通風器を2列に並べているが、パンタグラフは連結面側に設けられた。 710系・810系と比較して大幅な内外装の一新がなく、後年の2000系登場時ほどの強烈な印象を与える車両にはならなかった。
がステンレス製から軽合金製となった。1973年は12両編成運転開始に備えた設備増強に注力したこと、1975年(昭和50年)は前年7月の久里浜地区水害で損傷した車両の復旧工事を優先させたため新製がなかった。増備の過程で、広告枠の増設、先頭部の雨樋形状の変更など、細部の変更が行われた。
対して側面見付は大きな変化は見られないが、外板総張替えに際して台枠との接合部分が重ね溶接から突合せ溶接に変更されたことによって、車体裾部にわずかな段差が生じている。また、側窓下段が固定されて上段下降・下段固定式に改められたほか、側面行先種別表示窓部のガラス固定支持方式がHゴム式から金属枠固定式に変更された。
3D(1)d(d:乗務員扉、D:客用扉、数字:窓数、(1):戸袋窓))で、客室は同じく三条側から随行員室(客用扉含む)、便所・化粧室・側廊下、貴賓室、ホール(客用扉)、給仕室の順の区画構成となっており、側窓は貴賓室の3枚のみ1,300 mm幅の広窓、他は700 mm幅で統一されている。 随行員室に設置の客用扉は700
4両に更新されることになった。この際流用されたD-12台車は枕バネを板バネからコイルバネに換装、オイルダンパーの追加、イコライザーの強化、スポーク車輪のプレート車輪への換装などが行われ、D-13台車はさらに連接装置を撤去して、乗り心地を改善する改造が施されている。 年表 1946年(昭和21年)9月
この電動機は制御器と同様に東洋電機製造が設計製作を担当し、TDK-813-Aを呼称した。この電動機はこの時期の高性能車用電動機の通例に漏れず電機子の絶縁が完全B種、界磁絶縁がH種と耐熱性能を引き上げた上で自己通風式としてあり、また電機子巻線は整流子