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二条城廃止。これ以後、旧京都電気鉄道狭軌線付替え及び軌隔拡張(狭軌から標準軌化への改軌)が進む。 1920年(大正9年) 5月31日 木屋町線 塩小路 - 七条高倉廃止。 7月7日 京都市電気軌道事務所を京都市電気局に改組。 1921年(大正10年) 6月26日 伏見線 七条駅前 - 中書島、稲荷線 勧進橋 - 稲荷軌隔拡張。 1923年(大正12年)
、伏見石屋町、伏見紙子屋町、伏見竹中町、伏見指物町、伏見今町、伏見新大黒町、伏見備後町、伏見板橋二丁目、伏見東町東組、伏見京町六丁目、伏見東町、伏見御駕籠町、伏見紺屋町、伏見上風呂屋町、伏見下風呂屋町、伏見下大手町、伏見南裏町、伏見片原町、伏見肥後町、伏見土橋町、伏見東菱屋町、伏見西町、伏見桝形町、
染通となる。 京都市営バス(市バス) 81・特81系統:竹田街道 京都駅行/中書島 横大路車庫前行 急行特105系統:稲荷大社・京都駅行/中書島 横大路車庫前行 特南5系統:稲荷大社・京都駅行/中書島 横大路車庫前行 近鉄バス 9・10番系統:竹田駅東口行/向島駅前行(西墨染通のみに停車)
蹴上線(けあげせん)は、京都市の東山仁王門と蹴上の間を結んでいた京都市電の軌道路線である。 京都電気鉄道によって、第4回内国勧業博覧会会場となった岡崎公園へのアクセスとして建設された。当初は木屋町二条から二条通を東進し、琵琶湖疏水に突き当たってからは疏水に沿って南下の後、仁王門通を南禅寺前まで東に進
終末期の路線は四条大宮から松尾橋まで市西部工業地域の西院地区と梅津地区を無軌条電車(トロリーバス)で貫いていた。車庫引込線として千本線の壬生車庫前 - 四条大宮間で複軌道を共用していた。1969年(昭和44年)に全線が廃止された。 京都市のトロリーバス事業全般については京都市営トロリーバスを参照。 1945年(昭和20年)
1912年(明治45年) 6月5日 姉小路変電所開設 6月11日 七條驛前(後に京都駅前と改称)-烏丸丸太町開業 1913年(大正2年)5月26日 烏丸丸太町-烏丸今出川開業(京電中立賣線との六線共用区間を含む) 1914年(大正3年) 8月 京都旧駅敷地(鉄道用地)軌道敷設出願を巡り京都市と京電が対立
三条変電所廃止 1972年(昭和47年)3月6日 七条変電所廃止 1975年(昭和50年) 3月30日 全車ワンマンカー化実施 4月15日 一部区間における諸車の併用軌道乗入禁止実施 1977年(昭和52年)10月1日 田中変電所廃止 1978年(昭和53年) 9月30日 「さようなら 京都市電」電車運行 10月1日
北野線は1900年(明治33年)の開業当初、中立売線終点に横から直角に接続していたため、中立売橋東詰南の当該箇所に転車台を設置していた(俗に「電車回し」と呼ばれていた)。しかし、電車が止まり切れず民家に突っ込む事故が何度か発生したこともあり、複線化に際して中立売橋西詰から堀川を斜めに渡る鉄橋が架