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上申された。なお本砲の機能試験及び射表編纂試験ではこれらの砲弾がまだ制式化されていなかったために狙撃砲破甲榴弾や十一年式平射歩兵砲十二年式榴弾、十二年式代用弾を用いていた。これらの信管や炸薬は部分品であり、薬莢は狙撃砲破甲榴弾のものを用いた。仮制式上申書
本砲及び弾薬車4門に対する装備品の運搬のために開発されたものが九四式三十七粍砲予備品車である。本車の車体は基本的に弾薬車と同一であり、界板を有さず轅棹托架及び車輪托架を装着したに過ぎない。積載品は属品箱、予備品箱、油脂箱等である。これらはいずれも負帯を付けて弾薬箱と同様に背負うことが可能であった。本車の重量
試験を実施、機能及び抗堪性とも良好との判定を得た。翌1942年(昭和17年)2月機能抗堪弾道性試験を実施、戦車(試験ではケニ車を使用)に搭載した状態でも良好な成績を示した。しかし、翌1943年(昭和18年)2月に行った多数弾射撃試験
これらの改善によって、同年末に本砲は制式制定された。 性能は3.7 cm PaK 36(ラ式三七粍対戦車砲)にほぼ匹敵する。 本砲の砲身は単肉自緊砲身であり全長1850mmの50口径、閉鎖機は水平鎖栓式で自動式開閉装置を採用している。 駐退復坐機は水圧駐退バネ復坐式。照準眼鏡の倍率は4倍(
「1式47粍速射砲」(原文そのまま)は、1種:射距離300m/貫通威力84mm、1種:射距離400m/貫通威力81mm、1種:射距離500m/貫通威力78mm、2種:射距離300m/貫通威力57mm、2種:射距離400m/貫通威力54mm、2種:射距離500m/貫通威力51mm、となっている。 なお、100mにおいて55mm、1
砲口前(距離不明、至近距離と思われる)では50mmであった。 また1942年5月の資料によれば、九四式三十七粍砲は、試製徹甲弾である弾丸鋼第一種丙製蛋形徹甲弾(一式徹甲弾に相当)を使用した場合、以下の装甲板を貫通するとしている。 200mで49mm(第一種防弾鋼板)/28mm(第二種防弾鋼板)
試製九七式四十七粍砲(しせいきゅうななしき47みりほう)は、1937年(昭和12年)より大日本帝国陸軍が研究・開発した対戦車砲(速射砲)。 1930年代の初中期に開発・採用された九四式三十七粍砲が実質的に日本初の本格的な対戦車砲であったが、装甲貫徹能力に関して早くから列強の37mm級対戦車砲に比べて威力不
試製五十七粍戦車砲(しせい57みりせんしゃほう)は、1941年(昭和16年)より大日本帝国陸軍が研究・開発した戦車砲。 1939年(昭和14年)より開発中であった一式四十七粍戦車砲を上回る威力を持った駆逐戦車用の57mm級戦車砲として1941年(昭和16年)3月より試製五十七粍戦車砲(甲)及び(乙)の研究が開始された。