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連接車であったが、運転・メンテナンスの両面で難があり、玉川線廃止と共に全車廃車となった。 投入に至った背景には急激な通勤客の増大もあった。1954年より製造が開始された東横線デハ5000形において採用され実績の確認されたモノコック構造を特色とし、中空軸平行
車体は神戸線用の900形を小型化したスタイルの全鋼製車体で、車体長は約15m、車体幅は約2.35mの両運転台車である。妻面は900形同様中央に貫通扉を配した3枚窓で、運転台側幕板部に行先方向幕、助士台側幕板部に尾灯を配している。屋根は900形に比べると浅く、中央にガーランド型通風器を1列4基配し、その左右にランボードを巡らせている。
車体長は約15m、側面窓配置はd1(1)D6D(1)1d(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓)、前面は320形同様中央に貫通扉を配した3枚窓で、運転台側幕板部に行先方向幕、助士台側幕板部に尾灯を配した両運転台車であるのは320形と同一である。車体重量は20.4tとなり、320形の21.7tから約1.3tの軽量化が達成された。
車体はオープンデッキの路面電車型で、制動装置は手動ブレーキを採用し、ブリル21-E台車を使用した固定4輪車である。集電装置は、トロリーポールを加工した独特な形状の「ボウコレクター」(ビューゲルの一種)を使用していた。 北野線では、唯一残っていた47形の47を改番した150とともに使用されたが、1933年(昭和8年)に34形と交替
勢電鉄より譲り受けた600V時代のものに交換、ウインドシルも、能勢電鉄320形のものを参考に新たに製造されたものと交換した。後部標識灯は車掌台側のみ取り付けられ、運転台側にあった行先方向幕が復活した。屋根も絶縁布が剥がされて鋼板屋根となって鉛丹ペイントが塗装された。車両番号表記・社紋は、車体中央から
側幕板部に行先方向幕、助士台側幕板部に尾灯を配している。側面窓配置はd2(1)D21312D(1)2d(d:乗務員扉、D:客用扉、1:固定窓、(1):戸袋窓)で、客車時代の両端デッキ式から900形と同様の2扉車に改造され、側柱と窓一枚を埋めて新たな片引き側
2023年10月1日終車後(10月2日未明)に桂車庫所属の4053が線路閉鎖のうえで、京都線所属の8300系8312F(6連)に牽引され、正雀に廃車のため回送された[要出典]。 その後4052・4053は廃車となり、正雀工場から解体場所まで輸送された。 車番の「*」は4250形。 ^ a
手動ブレーキ2軸単車である。なお、成田電軌からは4両譲渡されていたが、1両は電動貨車(106)に機器類を提供したため、3両が竣工した。 このような小型車を導入したのは開業当時の伊丹線の需要に応じたものだったが、手動ブレーキ