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『後愚昧記』(ごぐまいき)は、南北朝時代の公卿・三条公忠の日記。『公忠公記』(きんただこうき)・『後押小路内府記』(のちのおしのこうじだいふき)とも。 記名は、公忠の7世の祖・三条実房の日記『愚昧記』に因む。記録期間は、内大臣在職中の延文6年(1361年)1月から薨去4か月前の永徳3年(1383年)
^ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:中國小說史略/第五篇 六朝之鬼神誌怪書(上)に「其書今具存,亦記靈異變化之事如前記,陶潛曠達,未必拳拳於鬼神,蓋偽托也。」 ^ 『国訳漢文大成 第十二卷』, p. 14 影印 17コマ. ^ 毛晋の書斎名をとって汲古閣本といわれる。明の万暦
年(1468年)の分は白茶後補表紙を装した巻子本で、「文正元年 後法興院御記」などの墨書外題がある。文明11年(1479年)以降の分は袋綴冊子本で、共紙表紙に「文明十一年記」などの外題を記している。なお、文明元年(1469年)から同10年(1478年)までの10年分と、文明17年(1485年)の巻首
将来。 のちのち。
(1)これから先。 将来。 あとあと。 副詞的にも用いる。
」が出てくるなど中国渡来の神仙思想が窺える。「水江浦島子」が童話に出てくる浦島太郎であるが、彼は日下部首の一人である。 筒川の里、日下部首等の先祖に姿容秀美の筒川嶼子という者、即ち水江浦島子がいた。伊豫部馬養連の記したところのものを述べる。 と前置きした上で、長谷朝倉宮御宇天皇(雄略天皇)の御世、浦
『三河後風土記』(みかわごふどき)は、近世に書かれた徳川氏創業期に関する歴史書。著者不詳。全45巻(42巻、50巻本もある)。後者、改正本、正説本には偽書説がある。 徳川氏創業史の一つで、徳川氏が祖と称している清和源氏から徳川家康将軍就任までの700余年間を年代順に記述する。
『豊後国風土記』(ぶんごのくにふどき)は、奈良時代初期に編纂された豊後国(ほぼ現在の大分県に相当)の風土記である。現存する5つの風土記のうちのひとつ。 『豊後国風土記』の正確な成立年代は不詳であるが、『日本書紀』中の景行紀とほぼ一致する記事が含まれること等から、720年以降で、遅くとも740年頃まで