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愚かで道理にくらい・こと(さま)。
『愚管記』(ぐかんき)は、南北朝時代の公卿・近衛道嗣の日記。『道嗣公記』(みちつぐこうき)・『後深心院関白記』(ごしんしんいんかんぱくき)とも称する。 『愚管記』の名は記主の道嗣自身が付けた謙称である。記録期間は、右大臣在職中の文和元年(1352年)から薨去4年前の永徳3年(1383年)までの約32
(1)文章のあとの方に記すこと。
※一※ (名・形動)
^ 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:中國小說史略/第五篇 六朝之鬼神誌怪書(上)に「其書今具存,亦記靈異變化之事如前記,陶潛曠達,未必拳拳於鬼神,蓋偽托也。」 ^ 『国訳漢文大成 第十二卷』, p. 14 影印 17コマ. ^ 毛晋の書斎名をとって汲古閣本といわれる。明の万暦
〔「愚図愚図」は当て字〕
年(1468年)の分は白茶後補表紙を装した巻子本で、「文正元年 後法興院御記」などの墨書外題がある。文明11年(1479年)以降の分は袋綴冊子本で、共紙表紙に「文明十一年記」などの外題を記している。なお、文明元年(1469年)から同10年(1478年)までの10年分と、文明17年(1485年)の巻首
※一※ (名)