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向氏大宜見殿内(大宜味間切) 毛氏池城殿内(羽地間切) 向氏譜久山殿内(今帰仁間切) 毛氏伊野波殿内(本部間切) 程氏名護殿内(名護間切) 向氏仲田殿内(久志間切) 馬氏上間殿内(金武間切) 毛氏佐渡山殿内(恩納間切) 向氏伊江殿内(伊江島) 向氏具志川殿内(具志川間切) 毛氏美里殿内(美里間切)
琉球王国時代の住宅は階級により厳重な規格があったため、この住宅も八重山の頭職(かしらしょく)には不相応として、5回にわたって建て替えを命じられたが従わず1875年(明治8年)、検使の譴責により茅葺への葺替えが命じられた。1893年(明治26年)には石垣島を訪れた笹森儀助が宿泊し、家屋や庭園は沖縄県下で希である、と記
(1)〔「しりがり(後駆)」の転〕
十世・向世公・越来親雲上朝宴 十一世・向崇簡・湧川親方朝略 十二世・向邦鼎・湧川親方朝喬 十三世・向元竜・湧川親方朝興 十四世・向文瑞・湧川親方朝傑(実父、向元麟・湧川里之子親雲上朝紀) 十五世・向秉義・湧川親方朝郁 十六世・向汝霖・湧川親方朝愛 十七世・向丕績・湧川親方朝功 『向姓家譜(湧川家)』 殿内
蔡氏 儀間殿内(さいうじ ぎまどぅんち)は、蔡崇(さいすう)を元祖とする琉球王国の士族(久米氏族)。12世・蔡壎より小禄間切(現・那覇市小禄)儀間村の脇地頭職を務めた。 1世・蔡崇は、福建省泉州府南安県の出身。家譜によると、宋の書家として有名な蔡襄の6世孫という。8世までは通事(通訳)にとどまって
〈首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を提げて〉 うりが灯がりば(うりがあかがりば) 弥勒御迎(みるくうんけー) 〈それが明るく灯ったらば 弥勒菩薩をお迎えしよう〉 (囃子)しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー
御殿に参上すること。 他人の家を訪問する意の謙譲語としても用いる。 参堂。
(1)平安時代以後, 許されて神社の拝殿に入ること。