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天皇てんのう陛下へいかことば「戦中せんちゅう戦後せんご苦難くなん今後こんごともかたぎ」

2025-08-15 03:24:38

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終戦しゅうせんから80はちじゅうねんむかえた15じゅうごにち天皇てんのう陛下へいか皇后こうごうさまとともに全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきのぞみ、ことばに「戦中せんちゅう戦後せんご苦難くなん今後こんごともかたぎ」という言葉ことばあらたにくわえられました。

天皇てんのう陛下へいか15じゅうごにち皇后こうごうさまとともに全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしき出席しゅっせきし、参列さんれつしゃとともにもくとうをささげたあと、おことばをべられました。

冒頭ぼうとうでは去年きょねんまでと同様どうよう「さきの大戦たいせんにおいてかけがえのないいのちうしなったすうおおくの人々ひとびとその遺族いぞくおもい、ふかかなしみをあらたにいたします」とべられました。

つづいて戦後せんごあゆみをかえると、去年きょねんおととしは「これからも」としていたところを「戦中せんちゅう戦後せんご苦難くなん今後こんごともかたぎ」という言葉ことばえたうえで、「わたしたちみなここわせ、将来しょうらいにわたって平和へいわ人々ひとびとしあわせを希求ききゅうつづけていくことをこころからねがいます」とはなされました。

戦後せんごまれの天皇てんのう陛下へいかは、戦争せんそう記憶きおく平和へいわへのおもいを、戦争せんそうらない世代せだい継承けいしょうしていくことの大切たいせつさについて、記者きしゃ会見かいけんなどかえかたられていて、今回こんかい追悼ついとうしきのおことばにも「かたぐ」という表現ひょうげんが、はじめてまれました。

むすびの一文いちぶんはこれまでとわらず「戦後せんごながきにわたる平和へいわ歳月さいげつおもいをいたしつつ、過去かこかえりみ、ふか反省はんせいうえって、ふたた戦争せんそう惨禍さんかかえされぬことをせつねがい、戦陣せんじん戦禍せんかたおれた人々ひとびとにたいし、ぜん国民こくみんともに、こころから追悼ついとうあらわし、世界せかい平和へいわくに一層いっそう発展はってんいのります」とべられました。
動画どうが天皇てんのう陛下へいか おことばの全文ぜんぶん
本日ほんじつ、「戦没せんぼつしゃ追悼ついとう平和へいわ祈念きねんする」にたり、全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきのぞみ、さきの大戦たいせんにおいてかけがえのないいのちうしなったすうおおくの人々ひとびととその遺族いぞくおもい、ふかかなしみをあらたにいたします。

終戦しゅうせん以来いらい80はちじゅうねん人々ひとびとのたゆみない努力どりょくにより、今日きょうくに平和へいわ繁栄はんえいきずげられましたが、おおくの苦難くなんちた国民こくみんあゆみをおもうとき、まこと感慨深かんがいぶかいものがあります。

戦中せんちゅう戦後せんご苦難くなん今後こんごともかたぎ、わたしたちみなこころわせ、将来しょうらいにわたって平和へいわ人々ひとびとしあわせを希求ききゅうつづけていくことをこころからねがいます。

ここに、戦後せんごながきにわたる平和へいわ歳月さいげつおもいをいたしつつ、過去かこかえりみ、ふか反省はんせいうえって、ふたた戦争せんそう惨禍さんかかえされぬことをせつねがい、戦陣せんじん戦禍せんかたおれた人々ひとびとにたいし、ぜん国民こくみんともに、こころから追悼ついとうあらわし、世界せかい平和へいわくに一層いっそう発展はってんいのります。
天皇てんのう陛下へいか これまでのおことば
全国ぜんこく戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきでの天皇てんのう陛下へいかのおことばは、戦争せんそう犠牲ぎせいしゃいたみ、遺族いぞくおもいをせるとともに、世界せかい平和へいわ日本にっぽん発展はってんねが気持きもちをあらわされたもので、基本きほんてき内容ないよう毎年まいとし踏襲とうしゅうされています。

上皇じょうこうさまのおことばにめられた戦争せんそう平和へいわへのおもいががれていますが、天皇てんのう陛下へいかは、戦後せんごまれの天皇てんのうとしてはじめてのぞんだりょう元年がんねん追悼ついとうしきで、上皇じょうこうさまのおことばにあった「ふか反省はんせいとともに」という表現ひょうげんを「ふか反省はんせいうえって」といかえられました。

これについて、ノンフィクション作家さっか保阪ほさかただしやすしさんは当時とうじ取材しゅざいに「戦争せんそう歴史れきしてき見方みかたとらえたうえで、『ふか反省はんせい』を自分じぶんつぎ時代じだいにつないでいくというおもいをあらわしたものだといえる」とはなしていました。

翌年よくねんのおことばには新型しんがたコロナウイルスの感染かんせん拡大かくだいれた一文いちぶんくわえられ、戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきのおことばに現在げんざい課題かだいはじめてまれました。

おととしのおことばからは新型しんがたコロナウイルスへの言及げんきゅうがなくなり「これからも、わたしたちみなこころわせ、将来しょうらいにわたって平和へいわ人々ひとびとしあわせを希求ききゅうつづけていくことをこころからねがいます」という言葉ことばわると、去年きょねんおなじおことばがつづいていました。

平成へいせい時代じだい上皇じょうこうさまの戦没せんぼつしゃ追悼ついとうしきでのおことばも、基本きほんてき内容ないよう毎年まいとし踏襲とうしゅうされてきましたが、上皇じょうこうさまは戦後せんご50ごじゅうねん戦後せんご70ななじゅうねんさいには、おことばにあらたな言葉ことばしたり、表現ひょうげんいかえられたりしました。
終戦しゅうせんから80はちじゅうねん りょうの “慰霊いれいたび
りょう陛下へいか戦後せんご80はちじゅうねんのことし、戦没せんぼつしゃ慰霊いれいなどのため、さき大戦たいせん象徴しょうちょうてき地域ちいきたずねられています。

4よんがつには「玉砕ぎょくさいしま」の1いち小笠原おがさわら諸島しょとう硫黄いおうとうを、6ろくがつにははげしい地上ちじょうせんおこなわれ、20にじゅうまんにん以上いじょう犠牲ぎせいになった沖縄おきなわと、被爆ひばく広島ひろしま訪問ほうもんされました。
9きゅうがつには長崎ながさきたずねられる予定よていで、これら訪問ほうもんさきは、平成へいせい6ろくねんから翌年よくねんの「戦後せんご50ごじゅうねん」にかけて上皇じょうこう夫妻ふさいさき大戦たいせん象徴しょうちょうてき地域ちいきめぐられたたびかさなります。

また7しちがつのモンゴル公式こうしき訪問ほうもんでは、敗戦はいせんきゅうソビエトによって抑留よくりゅうされてモンゴルにおくられ、過酷かこく労働ろうどうなどのためいのちとしたひとたちを慰霊いれいし、これまであまりられていなかった抑留よくりゅう歴史れきしひかりてられました。
天皇てんのう陛下へいかは、戦争せんそう記憶きおく平和へいわへのおもいを戦争せんそうらない世代せだい継承けいしょうしていくことの大切たいせつさについて、これまでかえかたられています。

ことし2がつ記者きしゃ会見かいけんでも「戦中せんちゅう戦後せんご苦難くなん体験たいけんした方々かたがた高齢こうれいとなり、当時とうじのことをかたいでいくことがむずかしくなっているなか国内こくない各地かくちわかひとたちが戦争せんそうろうとし、つぎ世代せだいかたとしてそだち、戦中せんちゅう戦後せんご苦労くろうかた活動かつどうすすめられていることは、戦後せんご80はちじゅうねんむかえる今日きょう一層いっそう意義いぎふかいものとなっているとおもいます」とべられました。

各地かくちへの訪問ほうもんでは、戦争せんそう体験たいけんしゃ遺族いぞくくわえて、経験けいけんつぎ世代せだいつたえようと活動かつどうする若者わかものなどとも懇談こんだんされています。

ソース:NHK ニュース