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現在の浪打1・2丁目は、かつての通称「練兵町」の地域におおよそ相当する。「練兵町」とは、青森に駐留していた陸軍歩兵第5連隊の練兵場があったことからその名が付けられた。 1928年(昭和3年)- 練兵場が浜館村戸山地区(現 青森市戸山団地付近)に移転し、その跡地が宅地分譲されたことにより、練兵町が成立した。 1930年(昭和5年)-
新型コロナウイルス感染症の影響で緊急事態宣言発表に伴い学校での活動休止(臨時休校)。※青森市内すべての小中学校対象。※同月26日までを予定。 3月24日 - 青森県八戸市で初の県内感染者、これに伴い4月5日まで臨時休校延長。 4月3日 - 同月17日までの臨時休校再延長。 7日 -
6月8日 - 校章制定。 1971年(昭和46年) 3月14日 - 校旗樹立、校歌制定。 3月22日 - 原別校舎から、校具・教材等を新校舎へ運搬。 3月23日 - 野内・東岳両校舎から、校具・教材等を新校舎へ運搬。これをもって、新校舎への移転完了。 1972年(昭和47年)11月26日 - 新校舎並びに体育館落成記念式典挙行。
学区変更により、浪打中学校・野脇中学校の一部学区を合流し、松原中学校を新設。校舎は、大字浦町字野脇341番地の青森市立高等学校(定時制)内。同日、開校式を挙行。なお、教具の多くは高校との兼用だった上、さらに17時以降は、教室や校庭を使用できないなど、多くの制約があった。 11月2日 - 校歌を制定。 1954年(昭和29年)9月15日
校舎焼失(南側校舎6教室)。 8月21日 - 南側新校舎竣工。 1973年(昭和48年)9月17日 - 中庭・校庭環境整備事業実施(池・花壇新設・校庭土盛等)。 1977年(昭和52年)9月17日 - 講堂拡張工事完了(125平方メートル)。 1980年(昭和55年)3月29日 - 中庭造園工事完了。
油川、羽白、岡町、西田沢、新城字天田内、富田4丁目の一部、新田3丁目の一部。 青森市営バス「北高校前」バス停から、徒歩約350m・約6分。 JR津軽線油川駅から、徒歩約660m・約10分。 JR駅・青森市営バス停共に、直線距離では近いが、道路の関係で、やや遠回りとなる。 JR津軽線油川駅 油川市民センター
- 特別教室(1・2・3階簡易間仕切教室、被服実習室、保育実習室、講師控室・教具資材庫、入浴実習・リハビリテーション室、介護実習室、リネン・更衣室、文化観光実習室、書道室、書道準備室、情報処理室、情報処理実践室、情報処理準備室、多目的室、工芸室)が完成。 10月20日 - 創立100周年記念式典を挙行。新校歌を制定。
青森県立青森高等学校(あおもりけんりつ あおもりこうとうがっこう, 英: Aomori Prefectural Aomori High School)は、青森県青森市桜川八丁目にある県立高等学校。通称「青高(せいこう)」。 歴史 1900年(明治33年)創立の青森懸第三中學学校の後身「青森県立青森中