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〔「くるる」の転〕
〔「と」は戸, 「まら」は男根の意〕
(1)「くるる(枢){(1)}」に同じ。
「枢(クルル)」の転。
〔戸臍(トボソ)の意〕
(1)扉を開閉する装置。 扉の端の上下に短い棒状の突起(とまら)をつけ, それを上下の枠の穴(とぼそ)にさしこんで回転するようにしたもの。 くろろ。 くるり。
東へ追いやられ、その威徳は遠方まで及びません。中原の動乱を救済するには、明公(慕容廆)といえども力不足です。今、諸部は各々軍備を擁しているとは言え、頑愚な連中の集まりですから、次第に蚕食していくべきです。これらを併合して領土を増やし、西方を平らげる足掛かりとしますように」と進言すると、慕容廆は「壮大
貞観3年(629年)、沙門の法雅が人々を煽惑した妖乱に連座し、裴寂は免官の上、蒲州に放逐された。その後、監奴の讒言によって、静州に流された。その時、偶然にも山羌(異民族)が叛乱し、裴寂は家僮たちを統率して賊を平定した。その功によって入朝を赦された。同年に61歳で没した。 『旧唐書』巻57 『新唐書』巻88