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総社:大屋都姫神社に合祀の総社明神か。別説に府守神社(和歌山市府中)か。 一宮:次の3社の説がある。 日前・国懸神宮(2社で1社) - 旧官幣大社。伊勢神宮に並ぶ準皇祖神として、12世紀後半には事実上の一宮。 丹生都比売神社 - 旧官幣大社。 鎌倉幕府の保護を受け、13世紀末期から日前・国懸神宮と比肩。 伊太祁󠄀曽神社
日下部益人 奈良時代の地方豪族。伊豆国造伊豆直の姓を賜る。 伊豆乎美奈 奈良時代の官人。従五位下。 ^ 静岡県「第一章 列島統一の中での原始伊豆国の形成(弥生時代~6世紀)[1] ^ コトバンク「日下部益人[2] 『國史大辭典』(吉川弘文館) 坂本太郎・平野邦雄『日本古代氏族人名辞典』(吉川弘文館)
ちらは息速別命の異母兄弟の落別命の末裔。 国造の支配領域は当時伊賀国と呼ばれた地域で、後の伊賀国と同じ領域と考えられる。孝徳朝の御世に伊勢国に合併されたが、後に天武朝の御代に再び分割されて設置された。 国造の本拠は伊賀国伊賀郡阿保村で、現在の三重県伊賀市(旧青山町)にあたる。 不明。阿保には式内社大村神社がある。
伊余国造(いよのくにのみやつこ・いよこくぞう)は、伊余国を支配した国造。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば、成務天皇の御世に印幡国造と同祖の敷桁彦命の子・速後上命を国造に定められたとされる。 『古事記』によれば神八井耳命が伊余国造の祖とされる。 伊余氏(いようじ、姓は凡直)。
伊甚国造(いじみのくにのみやつこ、いじみこくぞう)は、後の令制国の上総国埴生郡、現在の千葉県茂原市の一部と長生郡長南町および睦沢町の一部を支配した国造。姓は直。伊甚屯倉設置以前は夷灊郡も支配していたと考えられている。表記については、『先代旧事本紀』「国造本紀」と『日本書紀』は伊甚国造とするが、『古事記』は伊自牟国造(いじむ-)とする。
平安後期の歌人。 一宮紀伊とも。 平経方の女(ムスメ)か。 後朱雀天皇皇女祐子内親王の女房。 「堀河百首」の歌人。 祐子内親王家紀伊。 「後拾遺和歌集」以下の勅撰集に三一首入集。 家集「一宮紀伊集」。 生没年未詳。
旧国名の一。 和歌山県全域と三重県南部に相当。 紀国(キノクニ)。 紀州。
紀伊国分寺(きいこくぶんじ)は、和歌山県紀の川市東国分にある新義真言宗の寺院。山号は八光山、院号は醫王院。本尊は薬師如来。 奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、紀伊国国分寺の後継寺院にあたる。本項では現寺院とともに、創建当時の史跡である紀伊国分寺跡(国の史跡)・紀伊国分尼寺跡についても解説する。