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^ 竣工時は架台のみ設置し、送受波器は未装備。 ^ 本来の艇名表記は第六十號驅潛艇(1945年12月20日以降は驅潛第六十號)。 ^ 本艇が艦艇類別等級別表に登載された1943年10月20日時点で第13号駆潜艇、第25号駆潜艇、第27号駆潜艇の3隻が除籍済み、第56号駆潜艇と第57号駆潜艇
第六号駆潜艇(だいろくごうくせんてい)は、日本海軍の駆潜艇。普遍的には第四号型駆潜艇の3番艇とされているが、海軍省が定めた特務艇類別等級および艦艇類別等級では第一号型駆潜艇の6番艇。 ③計画の300トン型駆潜艇、仮称艦名第70号艦として計画。1938年7月5日、鶴見製鉄造船株式会社鶴見工場で起工。9
8月15日、モタ23船団(10隻)に同行し門司発。途中、鹿児島と基隆で避泊し、22日高雄着。 9月5日、タマ25船団(11隻)を護衛し高雄発。12日、第三南遣艦隊が在マニラ船舶の退避勧告を出したため、14日船団はサンタクルスに避泊。本艇は高雄へ引き返し、18日にタマ26船団(10隻)を護衛し高雄発。
前路掃蕩に従事。26日、高雄に帰投し、モマ05船団の遭難者を救助するため同日高雄発。30日、高雄に帰投。 11月5日、海軍徴傭船あとらす丸から載貨を移載する目的で海軍配当船昭永丸が派遣されることとなり、本艇は第83号駆潜特務艇とともに昭永丸を護衛してサブタン島へ向かう。7日、本艇は第74号駆潜特務艇
第十三号型駆潜艇(第13号型駆潜艇、だいじゅうさんごうがたくせんてい、旧字で第十三號型驅潜艇)は日本海軍の駆潜艇の艦級(クラス)。 15隻が建造され、太平洋戦争によって9隻が失われた。 昭和14年(1939年)度の④計画により4隻、昭和15年(1940年)度臨時軍事費で7隻、昭和16年(1941年)
これに対し、だいたい第3号に似た艦型にまとまり、主機はディーゼル、出力2,600馬力で計画速力20ノットとなった。 第3号では重心が計画より上昇し、軽荷状態ではバラストタンクの注水に加え、燃料を若干残す必要があった。 そこで本型では重心をなるべく下げて、復原性能が良好になるよう、艦橋は1/2デッキ分下げ、
mを1巻、艦尾繋留用に⌀22×75 mを2巻、横付け用に⌀20×50 mを2巻装備した。 麻索は、繋留作業用に⌀32×175 mを1巻、副錨用に⌀26×175 mを1巻、専索及雑用に⌀22×100 mを1巻装備した。 舵取機械は100 V電動2馬力1基、揚錨機は100 V電動10馬力1基をそれぞれ装備した。 2隻とも1934年(昭和9年)3月に一旦竣工したが、
1942年1月1日から6日までダバオで行動。6日から9日まではマララグ湾で行動し、9日から13日にかけてダバオ沖で対潜掃蕩に従事。13日、バンカ島へ向けダバオ発。15日から22日までバンカ島で行動。22日、ケンダリ攻略に参加するためバンカ島発。24日から27日までケンダリ攻略に従事。29日、バンカ島に帰投。