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八戸水力電気会社軌道 - 八戸水力電気による八戸町-小中野町間の路面電車(実現に至らず) 新開座 - 八戸町鍛冶町にあった映画館 錦座 - 廿八日町にあった劇場 於多福座 - 大澤多門が創立。現在の長者山新羅神社付近にあった。 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002 『はちのへ市史研究第2号』八戸市、2004
市美術館、青森銀行八戸支店などが立地している。表通り(国道340号)の北裏手に当たり、八戸市庁に隣接している地区である。北に内丸、堀端町、南に十三日町、三日町、八日町、西に堤町、東に常海町、窪町に面している。JR八戸線本八戸駅が最寄駅である。 番町は藩政時代の士族町だった。 八戸市庁は番町10番地に置かれていた時代もあった。
1944年(昭和19年) 国鉄東北本線陸奥市川駅開設。 1955年(昭和30年) 八戸市に編入する。 2017年(平成29年)4月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである。 域内西部を東北新幹線と青い森鉄道線が南北に走っており、駅は陸奥市川駅(青い森鉄道線)が域内に所在する。 高規格幹線道路(高速自動車国道)
八戸学院大学短期大学部 国立・独立行政法人 八戸工業高等専門学校 県立(五十音順) 八戸北高等学校 八戸工業高等学校 八戸高等学校 八戸商業高等学校 八戸水産高等学校 八戸中央高等学校 八戸西高等学校 八戸東高等学校 北斗高等学校八戸分室 ※:以下は廃校。 八戸北高等学校南郷校舎(2017年・八戸北高等学校に統合)
1868年(明治元年)頃、39軒の家があった。 1890年(明治32年)「向鶴」の記録によると、穀物商2軒、旅人宿1軒、酒造家1軒、陶器商3軒、薬品商1軒、八百屋商3軒、乗合馬車宿1軒、洋服店1軒が三日町に立地していた。 商業 さくら野百貨店八戸店 モスバーガー八戸三日町店 金融機関 青森銀行三日町支店
町名の由来は旧村名(旧大字)の八幡村にあり、村名は六甲八幡神社があることに因む。 『神戸の町名 改訂版』では 万寿3年(1026年)、八幡信仰で神助を得た水原武信という人物がこの地に八幡大神を奉った。 社伝によると治承4年(1180年)平清盛が福原遷都の際、男山八幡(石清水八幡宮)を勧請したので成瀬村を改め八幡村とした。
1868年(明治元年)から1929年(昭和4年) 1868年(明治元年) 戸数11。土地の状況は下の下。田は無く、農耕する人4割、漁業する人4割、商漁する人2割だった。(商漁とはイサハと読む。遠方に魚を売りにいく人。現在でも『イサバのカッチャ』=(魚を遠くに売に行く女性)という言葉が残る)
字毛合清水(けあいしみず) 字小堤(こつつみ) 字小夏間木沢(こなつまぎさわ) 字境田(さかいだ) 字坂ノ上(さかのうえ) 字笹ノ沢(ささのさわ) 字座頭平(ざとうたい) 字沢合(さわあい) 字沢堰(さわせき) 字沢ノ田(さわのた) 字三条目(さんじょうめ) 字直田堰(じきでんぜき) 字直田(じきでん) 字島田(しまだ)