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たでんしゃ)は、渥美電鉄が新製した同社初の全鋼製四軸ボギー車。後年渥美電鉄が名古屋鉄道(名鉄)へ吸収合併されたことに伴い、モ1050形と改称された。 1926年(大正15年)に日本車輌製造で製造された渥美電鉄デテハ1001である。当時としては画期的な全鋼製車体を採用している。試作車的な存在であり、製造数は1両のみである。
名鉄キハ150形)であり、後に付随車化されたサ2280形として運用された車両である。 1945年8月14日 モ152は天白変電所付近で米軍機より機銃掃射を受け死者15人、負傷者16人をだす。 写真や図面から登場時は乗降ステップ、救助網があった。 [脚注の使い方] ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史
56 (73:16) である。 台車はボールドウィン・ロコモティブ・ワークス (BLW) 社開発のボールドウィンA形台車を原設計として、汽車製造において製造された形鋼組立形釣り合い梁式台車BW-Aを装着する。固定軸間距離は2,134mm、車輪径は864mmである。
1966年からは両運転台で残っていた車両のうち、養老線へ転属したモ5651・5663を除く6両についても順次片運転台化されている。またM三動弁であったブレーキについても、1969年ころからAMA(A動作弁のA自動空気ブレーキ)に改造されている。 製造時より南大阪線系統で使用されていたが、デハ104・114は1929年の
車体中央部にも引戸式の客用扉が設置され、客室と直結されていた。デハ6260形においては、中央扉に圧搾空気で自動的に上下する踏段(ステップ)が設けられていたが、本形式では固定踏段とし、車体裾部を垂下させて扉の内部に隠している。 出入り台の中央部に運転台が設けられ、客用の部分と区分はされていない。前面
16001は、戦後の1948年4月にモハ52形2両(52002、52005)とともに、東海道本線三島 - 沼津間で行われた高速度試験に供された。国有鉄道最古の電車が車体を軋ませながら100km/h以上で走行する様は、壮絶であったという。同車は1953年(昭和28年)6月1日付けの車両称号規程改正により、クヤ9010形(9
4-88283-901-6(1997年) 沢柳健一・高砂雍郎 「旧型国電車両台帳 院電編」 - ジェー・アール・アール ISBN 4-88283-906-7(2006年) 新出茂雄・弓削進 「国鉄電車発達史」 - 電気車研究会(1959年) 寺田貞夫 「木製國電略史」 - 「日本国鉄電車特集集成 第1集」に収録 「木製省電図面集」 -