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リスで建造され特殊輸送船で日本まで輸送された。ホランド型潜水艦を参考にして設計、建造された発展タイプ。ホランド型は潜舵がなく、丸い船体のため水中での安定性が良くなかったが、本型では潜舵を備え、また排水量もおよそ3倍となり潜水艦として実用の域に達した。 竣工時(1909年、明治42年)の名称は第八潜
舵が配置された。操縦性能は非常に軽快であったとされ、急速潜航時間は15秒以内であった。 主機は波百一型潜水艦(潜輸小型)に採用されていた中速四〇〇型ディーゼル(400馬力)1基、電動機は伊二百一型潜水艦と同じ特E型電動機(1250馬力)1基による1軸推進であった。 縦舵と横舵
1942年12月16日竣工(呉) - 1943年8月1日沈没認定、米側記録なし(ソロモン方面) 呂号第百八潜水艦 1943年4月20日竣工(川崎) - 1944年5月26日、米護衛駆逐艦(アドミラルティ北方) 呂号第百九潜水艦 1943年4月30日竣工(川崎) - 1945年4月25日、米上陸用輸送艦(沖縄南方) 呂号第百十潜水艦
1916年(大正5年)10月31日竣工(呉)。竣工時の艦名は第十六潜水艇。1919年(大正8年)4月1日第十六潜水艦に改称。1923年(大正12年)6月15日波号第七潜水艦に改称。1929年(昭和4年)12月1日除籍。 波号第八潜水艦 1917年(大正6年)2月2日
日第十二潜水艦に改称。1923年(大正12年)6月15日波号第五潜水艦に改称。1929年(昭和4年)12月1日除籍。 波3型潜水艦は当初C1型からなる第2潜水艇隊に編入された。その後大正4年4月1日に第3潜水艇隊を編成した。 呉鎮守府籍の波3・波4・波
魚雷発射管は艦首の2門に加え、司令塔付近の水上部分に外装発射管を波9で4門、波10で2門装備した。 波10(第15潜水艇)は竣工時二等潜水艇に類別、1919年(大正8年)4月1日に三等潜水艦に類別変更。波9(第14潜水艇)は竣工時から三等潜水艦に類別された。 波号第十潜水艦の値。波号第九潜水艦の値は性能諸元表を参照のこと。
波号第百一潜水艦(はごうだいひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。 マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の1番艦、仮称艦名第4601号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4602号艦と同時
1943-44年のマル戦計画により太平洋戦争末期に建造された潜水艦。潜航時の船体抵抗を抑えた設計、ドイツより技術導入した溶接に適した高張力鋼St52による全溶接船体構造 、そして建造期間短縮と大量建造に適するブロック建造を取り入れ毎月1隻の完成を目標としていた。23隻が計画され、8隻が起工