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橘(たちばな):「第5511号艦」(1944年9月1日、松型駆逐艦に類別)、1945年1月20日竣工(横須賀)。同年7月14日函館港内で沈没。 蔦(つた):「第5514号艦」、1945年2月8日竣工(横須賀)。終戦時残存。復員輸送に従事、賠償艦として中国へ。
松(まつ)は大日本帝国海軍の駆逐艦。松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦。 日本海軍の艦名としては樺型駆逐艦「松」に続いて2代目である。 舞鶴海軍工廠で1943年(昭和18年)8月上旬から1944年(昭和19年)4月末にかけて建造された。起工から竣工まで約8ヵ月であった。竣工後、小笠原諸島や硫黄島方面への護衛任務に従事する。
^ 宇垣纏著『戦藻録』(昭和19年11月20日記事)(十一月廿日 月曜日 半晴 強風)〔 強風三日、支那の高氣壓は東漸せるにかゝわらず一向に収まらず驅逐艦桐、梅分離馬公に向ふ。此の附近敵潜の出現少し。潮流の大なるも一の理由なるべし。〕 ^
檜(ひのき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 松型(丁型)の16番艦である。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「桃型」3番艦「檜」)。 太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)9月末に竣工し、輸送作戦に従事する空母の護衛を幾度かおこなったあと、フィリピンに進出した。1945年(昭和20年)1
樅(もみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 松型(丁型)の9番艦である。 日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦「樅型」1番艦「樅」)。太平洋戦争後半の1944年(昭和19年)9月7日に竣工し、訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入された。 内海西部で訓練に従事、並行して輸送作戦に従事する空母の護衛をおこなった。
槇(まき)は日本海軍の駆逐艦。艦名は楢型駆逐艦の4番艦「槇」に続いて2代目。 一等駆逐艦「槇」は、松型駆逐艦の8番艦。1944年(昭和19年)8月10日に竣工。訓練部隊の第十一水雷戦隊に所属したのち、第三十一戦隊隷下の第43駆逐隊に編入された。 捷号作戦にともなう10月下旬のレイテ沖海戦では、小沢機
樫(かし)は日本海軍の駆逐艦。 松型駆逐艦の10番艦として藤永田造船所で建造された。 艦名は桃型駆逐艦2番艦「樫」に続いて2代目。 1944年(昭和19年)9月30日に竣工。11月15日新編の第52駆逐隊に所属した。 ヒ81船団を護衛して南西方面に進出後、礼号作戦に参加した。
梅(うめ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦。 松型駆逐艦(松型一等駆逐艦)(丁型)の3番艦である。 日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦樺型「梅」)。 一等駆逐艦梅(うめ)は、日本海軍が太平洋戦争終盤で運用した駆逐艦。丁型一等駆逐艦第5483号艦として藤永田造船所で建造され、1944年(昭和19