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月七日〇六四五以後「ミツドウエイ」の西方約五〇〇浬に於て三隈最上及8dgは敵艦上機の連續攻撃を受け三隈は直撃彈數發を蒙り遂に沈没し最上は直撃彈六發を蒙り航行困難となつた、8dg各艦も夫々命中彈を蒙つたが戰闘航海には支障はなかつた(リ)最上は被害甚大であつたが應急處置適切に行はれ危機を脱し六月八日〇四
上型重巡洋艦はこれに従い155mm三連装主砲塔を持つ姿で竣工し、条約失効後に203mm連装砲に換装した。利根型重巡洋艦は建造途中に条約失効したため竣工時点で203mm連装砲を装備した。どちらにおいても日本は203mm連装砲への換装を他国に通告しておらず、公式の分類上
砲架をピラミッド状に2番砲のみ高くして中心線上に3基を配置した。 そして艦橋構造は初めて塔型艦橋を採用した。 船体中央部には集合煙突型の2本煙突が立ち、これにより艦橋から煙突の距離が開いたために排煙による煤煙問題に良好な結果をもたらした。 艦内舷側部には固定式で61cm連装魚雷発射管が片舷3基6門ずつ計12門が指向できた。
青葉型重巡洋艦(あおばがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は2隻。 先に日本海軍において建造された古鷹型重巡洋艦は、20cm単装砲6基を有し他国の巡洋艦を圧倒したが、主砲弾の装填を半人力式としたために装填速度が遅いという欠点を抱えていた。 ワシントン海軍軍縮条約において、「補助艦艇は排水量1万トン、主砲最大20
羽黒 [脚注の使い方] ^ 妙高の公試成績では竣工時35.6ノット、二次改装後の公試で33.8ノットを記録。 ^ 実測では13.9ノット/7,000浬(那智)であり、後に航続力の短さが問題となった。 ^ 昭和2年4月16日 海軍内令 第132号制定、海軍定員令「第40表 一等巡洋艦定員表
年(昭和13年)11月に、「筑摩」は1939年(昭和14年)5月に就役した。 利根型の特徴は、前部に20.3 cm連装砲塔4基を集中配置し、後部(後檣より後ろすべて)が航空兵装となっていることにある。この配置によって、艦載機が主砲の爆風で破損する危険性がなくなり、常時全主砲を発射できるようにもなっ
高雄型重巡洋艦(たかおがたじゅうじゅんようかん)は大日本帝国海軍の重巡洋艦。同型艦は4隻。昭和2年度艦艇補充計画に基づき建造された。 高雄型は書類上では日本で最後の一等巡洋艦として計画建造された型でもあり、本型よりも後に竣工した巡洋艦はすべて二等巡洋艦(軽巡洋艦)である。なお、一番艦の高雄と同時に
class guided missile cruiser)は、ソ連海軍・ロシア海軍が運用していた大型対潜艦(BPK)の艦級に対して付与されたNATOコードネーム。ソ連海軍での正式名は1134B型大型対潜艦(ロシア語: Большие противолодочные корабли проекта