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⇒ ふどき(風土記)
713年の元明天皇の詔により諸国で編纂された官撰の地誌に対する平安朝以降の通称。 郡名の由来・伝承・産物・土地の状態などを各国庁が解文として撰進した。 出雲・常陸・播磨・豊後・肥前の五か国のものが現存するが, 完本は出雲国のみ。 他に約三〇国の逸文が伝存する。 文体は国文体を交えた漢文体。 後世作られた風土記の類と区別して古風土記ともいう。
(1)諸国の風土・風俗・産物・伝説などを記した本。
嵯峨野の池-大宮びとの風流が生んだ 神護寺-文覚上人すわりこみで復興した 竜安寺-何が何やらサッパリわからぬ天下の名園 広隆寺-平安遷都で活躍した大陸人の氏寺 洛北 上賀茂神社-ご神体がいらっしゃらない社殿 光悦寺-万能芸術家の夢の跡 詩仙堂-スパイ容疑者石川丈山のすまい 比叡山-秀吉も家康もごきげんをとった僧兵
、大沼郡、河沼郡、安積郡福良組、越後国蒲原郡、魚沼郡、下野国塩谷郡川島組)の界域、山川、原野、土産、関梁、水利、郡署、倉廩、神社、寺院、墳墓、古蹟、釈門、人物、旧家、褒善の16部門にわたり記述されている。 江戸幕府の地誌編纂事業のモデル的役割を果たすものとして編纂された地誌であると同時に、江戸時代における日本の地誌の代表とされる。
『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。 日本文学史上、おそらく初めての日記
常陸風土記(ひたちふどき)とは、茨城県鹿嶋市の銘菓で、炊いた大納言小豆で求肥を包んだ和菓子。 鹿島神宮参道の菓子舗丸三老舗の代表菓。 岸朝子著『全国五つ星の手みやげ』に掲載。全国菓子大博覧会では内閣総理大臣賞を受賞した経歴を持ち、天皇陛下への献上菓子としての実績もある。年間6万個ほどを売り上げる商
塩醋醤麪(塩・酢・味噌・麪酵) 蚕糸(養蚕) 器用(有用な道具) 車轎(車とかご) 舟楫(舟とかい) 属郡(所属する地方行政区画) 村落 取胆(胆の蒐集) 異事(奇怪な事) 澡浴(水浴) 流寓(他郷にさすらい住むこと) 軍馬(軍隊) 国主出入(国王の外出) [脚注の使い方] ^ a b c 世界大百科事典 第2版『真臘風土記』