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(1)人を敬っていう語。
※一※ (名)
〔「かた」に尊敬の接頭語「み」の付いたものから。 「味方・身方」は当て字〕
そのまま明石に定住するが、入道は自分の娘から将来帝と后が生まれる(すなわち「国母(天皇の生母)」の母となる)という夢のお告げを信じて、娘に京の姫君に劣らないほどの教育をほどこし、「もし心ざし遂げずこの宿世違はば海に入りね」と厳しく育てた。 やがて明石に流れ着いた源氏と、父の入道の手引きで逢瀬を重ね、
大宮御所(おおみやごしょ)とは、皇太后・太皇太后(崩御した天皇の皇后)の御所(女院御所)を指す。なお上皇(退位した天皇)が存命中の場合は、その御所を仙洞御所と言う。 東京に造営された大宮御所に対し、京都大宮御所と呼ばれることもある。 現在の大宮御所の原型は、後水尾天皇が中宮東福門院のために造営した女
東宮御所(とうぐうごしょ)は、日本における次期天皇・皇太子の御所。皇太子の異称が「東宮」であるところから、こう称される。 直近の東宮御所は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地に、皇太子徳仁親王とその家族の住まいとして平成31年(2019年)4月30日まで所在した。 1989年(平成元年)1月~1993年(
公方御倉(くぼうおくら)とは、室町幕府における財産の管理・出納を行っていた機関。単に御倉(おくら)とも。長は倉奉行(御蔵奉行・御倉奉行)であったが、実態は京都市中の民間の土倉などから選ばれた納銭方が倉奉行の委託を受けて出納業務を行っていた。 中世の京都は災害や盗賊などの災難に遭う可能性が高かった。
紫上の母と紫上を嫌い夫兵部卿宮から遠ざけようとする。(第05帖 若紫) 光源氏に引き取られた紫上の幸せをねたむ。(第10帖 賢木) 光源氏と離れ離れになる紫上を、小気味良いように中傷する。(第12帖 須磨) 光源氏が妻の父である夫式部卿宮の五十の賀を行ったが、自分の娘の王女御については後援しないことを不満に思う。(第21帖