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(ひめみこ)姫宮(ひめみや)などがある。 また古来から、第一皇女を女一宮(おんないちみや)、その順に女二宮、女三宮と称す。 明治時代に入り、皇室典範成案が起草されるにあたり、その第35条にて従来の皇女に留まらず、親王妃にも内親王、王妃を女王と規定する条文の策定が検討された。しかし、有栖川宮熾仁親王が
大原内親王(おおはらないしんのう)は、平城天皇の第3皇女。母は宮人の贈従三位・伊勢継子(正四位下木工頭・伊勢老人の娘)。高岳親王の同母姉妹。伊勢斎宮。 大同元年(806年)11月13日、平城天皇の斎宮に卜定され、同2年(807年)8月24日に野宮入り、同3年(808年)9月4日に伊勢に群行したが、翌4年(
〔「しんおう」の連声〕
(1)天皇の子供を敬っていう語。 皇子・皇女。
(1153頃-1201) 鎌倉期の女流歌人。 後白河天皇の第三皇女。 1159年から69年まで賀茂斎院をつとめ, 晩年に出家する。 歌は俊成に師事し, 「古来風体抄」を献ぜられる。 千載集以下の勅撰集に一五五首入集。 家集「式子内親王集」
昇子内親王(しょうし(のぼるこ)ないしんのう、建久6年8月13日(1195年9月18日) - 建暦元年11月8日(1211年12月14日))は、鎌倉時代の皇族。東宮守成親王(順徳天皇)の准母皇后、女院。院号は春華門院(しゅんかもんいん)。後鳥羽天皇の第一皇女。中宮九条任子(宜秋門院、摂政関白九条兼実女)の唯一の所生。
佳子内親王(かこないしんのう、1994年〈平成6年〉12月29日 - )は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下。お印はゆうな。勲等は宝冠大綬章。 秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第2女子。明仁(第125代天皇・上皇)の孫。徳仁(第126代天皇・今上天皇)の傍系(姪)にあたる。姉に小室眞子(眞子内親王
⇒ しょくしないしんのう(式子内親王)