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分割となっている。パレットは、専用の特殊形状のもの16枚が積載可能である。妻板も平鋼板製で、上部に通気口が設けられている。また、屋根はビード入り平鋼板製の山形であるが、テキ100形で設けられていた屋根上の歩み板は、本形式では廃止された。台枠は、台車間の中梁を太くした魚腹型台枠である。足踏み式ブレー
チム1形3両(チム11,チム12,チム15)が北海道拓殖鉄道に譲渡され、チム310形(チム311,チム310,チム312)となった。 1944年(昭和19年)7月1日に胆振縦貫鉄道が戦時買収により国有化され、胆振縦貫鉄道に在籍していたチム1形2両がチム50形(チム1,チム2→チム50,チム
しかし同年に形式消滅となった。在籍期間も短くまた戦時中のため資料も少なく詳細は不明である。 鉄道省廃車後の2両が定山渓鉄道へ譲渡されセ1形(定山渓鉄道)(セ12、セ2→セ1、セ2)に定められた。この際同時にセ50形5両、セフ1形2両、セフ20形1両の総計10両の車両が定山渓鉄道へ譲渡された。沿線に大きな炭鉱を持たない定山渓鉄道がこれ
改造目的は、北海道向けバラスト(砕石)散布用貨車を増備することにあった。本形式は営業用の形式を称するが、専ら事業用に使用された。当時既にホキ700形が実用化されていたが、同形式は新製車のため高価格であった。 主な改造内容は2点あり、 ホッパー炭箱の上部を切り詰める(レール頭面より2,120 mmの位置)
再度改番された短命な形式であった。同称号規程改正では豚積車が新設され本形式は豚積車の最初の形式となった。豚積車は付添人室があるためこれを豚積緩急車と間違われやすい。1940年(昭和15年)に2両(ウ59、ウ65)がウ100形へ再再改造された。
サ1形は、事業用となっていたワム1形13両を1953年(昭和28年)の称号規程改正の際に、正式に工作車に区分類別(サ1 - サ13)したものである。その後4両(サ14 - サ17)が、1955年(昭和30年度)に追加改造され、合計17両(サ1 - サ
車体色は黒色、寸法関係は全長は12,070 mm、全幅は2,600 mm、全高は3,800 mm、 台車中心間距離は7,970 mm、実容積は38.2 m3、自重は20.4 t - 21.0 t、換算両数は積車4.5、空車2.0である。
mm、全高は2,535 mm、自重は15.2 t、換算両数は積車4.5、空車1.4、台車はTR17、車体塗色は黒で最高速度65 km/hであった。なにぶん老朽車であったため改造よりわずか3年後の1957年(昭和32年)7月1日より廃車が始まり、1959年(昭和34年)1月20日に最後の1両(ホキ15