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平台枠、中央の支柱の有無、さらにク301の上段ガーダー構造など、外観は大きく異なるものであった。 新興駅常備として運用されたが、実際には日産追浜工場で生産された自動車を輸送するために横須賀駅を拠点として運用されていた。1965年(昭和40年)12月から宮城野駅(現在の仙台貨物
り、JRに継承された一部の車両を除く全車が廃車された。 旧国鉄では乗務員からは、後継のヨ6000よりも居住性が良好(軸距が長く蛇行動が少なく、長椅子がより長い)だったため、ヨ6000やヨ8000に比べると古い形式であったが好評であった。 またヨ5000の形式を短縮してヨゴレやヨゴマルとも呼ばれていた。
km/h 系の TR63B 形で、チキ5000形(初代)量産車の TR63 形を本形式の使用条件に適合させたものである。枕ばねは2重コイルばねで、左右1対のオイルダンパとともに枕梁を介して車体を弾性支持する。「繋ぎ梁」で左右を結合した鋼板溶接構造の台車側枠、円筒コロ軸受を用い防振ゴムで弾性支持さ
1951年(昭和26年)12月26日から1963年(昭和38年)12月14日にかけてタム100形より8両が三菱重工業、造機車輌、汽車製造にて改造され当形式に編入された。又1958年(昭和33年)12月2日にはタム3500形より1両が造機車輌にて改造され当形式に編入された。 形式内改造され改番を伴った車輌が10両存在した。
三井フロロケミカル(コタキ5035) 造機車輌 1両 ソーダ商事(コタキ5036) 富士重工業 3両 十全化学(コタキ5037 - コタキ5039) 汽車製造 2両 三谷産業(コタキ5040 - コタキ5041) 昭和43年度 - 10両 富士重工業 1両 十全化学(コタキ5042) 日本車輌製造 1両 日本曹達(コタキ5043)
1955年(昭和30年)から1957年(昭和32年)に掛けて更新修繕が実施された。この時に二段リンクに改造されると共に、断熱材がアルセルボードに交換された。 各年度による改造所と改造数の関係は以下のとおりである。 昭和30年度 - 130両 五稜郭工場 15両 大宮工場 40両 高砂工場
レサ5000形の車体はレサ10000形と全く同一であり、全長13,700 mm、全幅2,777 mm、全高3,657 mm、荷重24 t、断熱材はガラス綿である。車室内を間仕切壁で前後に分けてそれぞれに扉を設け、12 tずつ積載できるようになっているところも同じである。一方、走り装置はレサ10000系が100
昭和50年代後半になると国鉄の鮮魚輸送は急速に衰退して、本形式も余剰となった。このため1982年(昭和57年)から廃車が始められた。1984年2月1日国鉄ダイヤ改正では、北海道においてサッポロビール向けのビール保温輸送に61両、黒崎駅から全国に向けて三菱化成