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(1)「とんや(問屋){(1)}」に同じ。
(1)卸売を業とする店。 また, その人。 中世の問職(トイシキ)・問丸(トイマル)の発達したもので, 荷主から商品を委託され, あるいは買い取り, これを仲買に売りさばく商人。 近代には, 問屋・仲買の区別が乱れ, あわせて卸商・卸問屋となる。
大森海苔問屋街(おおもりのりとんやがい)は、東京都大田区大森に所在する海苔の問屋街である。大森地区に40社以上の海苔問屋が営業している。 元禄年間(1688 - 1704年)から昭和37年(1962年)まで海苔養殖が盛んだった。乾し海苔の生産量が増えるに伴って問屋も増えていき、大森は海苔の問屋街となった。
米問屋(こめどいや/こめどんや)とは、米の卸売を取り扱う問屋である。廻米問屋と呼ばれる場合もあった[要出典]。 本項では、江戸・明治時代における日本の米問屋について記述する。一般的な意味のいわゆる米屋に関しては米穀店を参照のこと。 幕藩体制のもとで石高制が採用されていた江戸時代には、江戸幕府や藩など
⇒ ふなどいや(船問屋)
江戸時代, 廻漕や積み荷の取り扱いを業とする問屋。 ふなどんや。 廻漕問屋。 廻船問屋。
油問屋(あぶらどんや)とは、江戸時代に燈油を中心とした油の販売を取り扱った問屋のこと。関連する問屋として、油の原材料を扱う種物問屋(菜種問屋・綿実問屋)がある。 中世末期に日常生活で用いられる油が荏胡麻を原料とする「荏油」から菜種を原料とする「水油(種油)」と綿実を原料とする「綿油
問屋が流通に関与することになった。塩廻船は塩の買付の際に直師(ねし)と買主と間で売買俵数・値段の斡旋を行ったのが塩問屋であった。塩問屋はこの合意に基づいて浜人に対して売買価格を通知し、これに対して浜人は売出可能な俵数を申出、塩問屋は必要に応じて過不足の調整を行った。塩問屋は口銭として販売額の3-5%を買主から徴収した。