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クに到着。1943年(昭和18年)1月6日、トラックを出港したが機関故障により引き返した。修理の後2月3日にトラックを出港。6日、ラバウル北西沖で浮上航走中、零式水上偵察機から誤爆されるも、ダメージは軽微で済んだ。7日にラバウルに到着。8日にラバウルを出港し、ポートモレスビー沖で哨戒を行う。14日1
判断した。0150、イングランドは686mの距離で潜航中の潜水艦をソナー探知。深度52mの位置にいる潜水艦は頻繁に舵をきり、推進器音で敵のソナーを惑わせようとした。2回ほど攻撃に失敗したが、イングランドはヘッジホッグ24発を投下。その結果、3回の爆発音が聞こえ、潜水艦を撃沈した。朝、部隊は潜水艦のも
1928年12月10日 奥島章三郎 少佐:1928年12月10日 - 1930年4月22日 久米幾次 大尉:1930年4月22日 - 1931年4月1日 (兼)堤道三 大尉:1931年4月1日 - 1931年5月1日 鳥居威美 大尉:1931年5月1日 - 1931年11月2日 溝畠定一 少佐:1931年11月2日
- 佐世保を出航。24日、ペナン着。 12月3日 - ペナンを出航。インド洋で活動。 12月14日 - 軍需品を積んでボンベイからコロンボへ航行中の英貨物船デーズイ・モラー(Daisy Moller、4,087トン)を雷撃により撃沈。 1944年(昭和19年)2月2日 - ペナンを出航。ベンガル湾方面で活動。
礁する。これを受け、呂101が救援に向かうこととなった。呂103では消耗品と食糧、魚雷を投棄して艦を軽くしようとする。10日、南方を航行する駆逐艦を発見し、機密文書を海に捨てるよう命令が出されるが、駆逐艦は呂103を発見することなく去っていった。11日、呂103は燃料と真水の投棄を行った後離礁
ほどの爆発音を聴取。その後、連続した小爆発と潜水艦が沈んでいく音を聴取した。翌朝、現場海域には潜水艦のものと思われる破片と重油が漂っていた。部隊は木製甲板の破片、クロノメーターケースの破片、コルク栓2つ、多数の断熱材を回収した。これが呂108の最期の瞬間であり、艦長の小針寛一大尉以下乗員53名全員戦
後出港。20日にラバウルに到着。26日、輸送物資を積んでラバウルを出港し、スルミに向かう。28日にスルミに到着し、輸送物資を降ろした後出港。30日にラバウルに到着。2月12日、輸送物資を積んでラバウルを出港し、スルミに向かう。14日にスルミに到着し、輸送物資を降ろした後出
8月14日、呂109は佐世保を出港し、24日にラバウルに到着。航海中の15日、南東方面艦隊第7潜水戦隊に編入。 9月1日、第51潜水隊に編入。 9日、呂109はラバウルを出港し、ガダルカナル島南方沖に進出して哨戒。10月2日、ラバウルに到着。 13日、呂109は輸送物資を積んでラバウルを出港