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形式としてまとめたものであり、2両ともほぼ同形式である。この2両が運用を開始したのは1926年(大正15年)である。同年は、美濃電気軌道北方線の北方町駅から黒野駅間の延伸及び黒野駅で接続する谷汲鉄道の開業があり、谷汲鉄道に美濃電気軌道が出資していたこと、貨車の共通運用などもあり同形式
。種車形式が3種類あるため、寸法などは同一形式間でも異なる。荷重は10 t、全て私有車かつ国鉄直通車であった。1963年(昭和38年)に形式消滅となった。 清水武・田中義人・澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォトパブリッシング、2021年。ISBN 978-4-8021-3270-1。 表示 編集
1944年(昭和19年)5月、軍需輸送の増加による電車不足のため、4両(ワ204 - ワ207)を自社で付随車に改造、サ40形(サ41 - サ44)として竣工する。 サ40形は1947年(昭和22年)に貨車に再改造し、翌年に廃車となる。 戦後は東部線、西部線、瀬戸線で運用され、一部は事故復旧車として新川工場、那加分
東部線専用として運用され、1961年(昭和36年)に形式消滅となった。 清水武・田中義人・澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォトパブリッシング、2021年。ISBN 978-4-8021-3270-1。 小寺幹久『名鉄電車ヒストリー』天夢人、2021年。ISBN 978-4-635-82269-5。 表示 編集
屋鉄道に合併すると引き継がれ、ワ160形(ワ161)となる。 戦後は西部線で社内線用として運用され、末期は配給車となった。1961年(昭和36年)に廃車。 清水武・田中義人・澤内一晃『名古屋鉄道の貨物輸送』フォトパブリッシング、2021年。ISBN 978-4-8021-3270-1。 表示 編集
引き継がれる。1941年(昭和16年)にワ610形(ワ611-ワ676)に改番する。 主に東部線で運用され、国鉄直通貨車であった。1954年(昭和29年)に名古屋鉄道が渥美線を豊橋鉄道へ譲渡すると、渥美線に所属していた2両(ワ612・ワ613)は豊橋鉄道へ移る
とは、かつて名古屋鉄道で運用されていた木造貨車(有蓋車)である。 元は三河鉄道の木造有蓋車である。ここでは三河鉄道時代に有蓋緩急車に改造されたワフ90形についても記述する。 元は1914年(大正3年)に天野工場で製造された三河鉄道の7 t 積木造有蓋車ワ200形(ワ201 -
いられ、大浜町、新川町、高浜町で製造された瓦(三州瓦)や土管、及びその原料の粘土の運搬を行っていた。戦後は東部線及び三河線で運用され、一部は車両部品運搬用となる。東部線の車両は後に西部線に配属される。徐々に両数は減少し1960年(昭和35年)には残り10両となる。1963年(昭和38年)に形式消滅する。