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ンク式連結器であった。1930年(昭和5年)に名古屋鉄道(初代)は美濃電気軌道と合併し名岐鉄道に改称する。トフ301形は名岐鉄道へ承継されたが、貨物量減少によりこの時点で多くが休車となっていた。1939年(昭和14年)4月には12両(トフ301 - トフ304,トフ306 - トフ308,トフ310
国鉄シキ60形貨車(こくてつシキ60がたかしゃ)は、1923年(大正11年)から1944年(昭和19年)にかけて8両が製造された50トン積み低床式大物車である。低床式のほかに、梁を交換することで平床式・落し込み式としても使用することができる車両であった。当初は明治44年称号規程によるオシウ40形として、オシウ40
クレーンのブームは水平に伸縮して左右に24.5°振ることができるのみである。扱い荷重は2.5tで、長さ25mの定尺レール3本を一度に取り扱うことができる。下回りは2軸ボギー台車(バーバー式と呼ばれるもので、国鉄形式は付与されていない)を2基装備し、後位側の台車はデ
片デッキの車掌室化、もう一方のデッキの荷物室化が行われ、ワフ50形(ワブ50形)となった。 このうちワフ62は太平洋戦争激化による資材不足対策として客車化の対象となり、1943年(昭和18年)11月にサ60形(61)となった。客車化改造により車体に扉や窓が増設され、屋根にベンチレーター、天井につり
装はEL120形より前の名鉄の電気機関車と同じ青色(メイテツブルー)である。2015年(平成27年)にEL120形の導入に合わせて、総括制御用のジャンパ線を設置する改造が行われた。 普段は大江駅に常駐している。 ^ チキ11は元・コキ1014。チキ12は元・コキ1018。チキ13は元・コキ1005。チキ14は元・コキ1011。
形式としてまとめたものであり、2両ともほぼ同形式である。この2両が運用を開始したのは1926年(大正15年)である。同年は、美濃電気軌道北方線の北方町駅から黒野駅間の延伸及び黒野駅で接続する谷汲鉄道の開業があり、谷汲鉄道に美濃電気軌道が出資していたこと、貨車の共通運用などもあり同形式
る。愛知製鋼の私有貨車であり、国鉄直通貨車であった。当初は手動ブレーキであったが、1961年(昭和36年)に国鉄直通貨車の空気制動装置の設置が義務化されたのに伴い、空気制動装置が設置された。 ト703、ト704は、1941年(昭和16年)に製造された富山地方鉄道ト71、ト74である。1954年(昭
元は1924年(大正13年)に日本車輌製造で製造された愛知電気鉄道の15 t 積木造通風車ツム5500形(ツム5500 - ツム5509)である。10両が製造された。引戸以外の車体の側面に通風用スリットを設けている。同時期に製造された愛知電気鉄道ワム5000有蓋車とは寸法などは共通である。国鉄直通貨車であった。193