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倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は、後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。大倭国造や大和国造とも表記される。 『古事記』、『日本書紀』では倭国造、『先代旧事本紀』「国造本紀」では大倭国造と表記される。 『古事記』では若御毛沼命が吉備国
(1)旧国名の一。 奈良県全域に相当。 五畿内の一。 平安遷都以前は歴代の皇居のあった地方。 もと「倭」と書いたが, 元明天皇の時, 「倭」に通じる「和」の字に「大」の字を付けた「大和」を用いることが定められた。
中国・朝鮮で用いられた日本の古称。 また, 日本の自称。
一女子を王に共立することで国中が服した。名を卑弥呼という。 『三国志』魏書 卷30 東夷伝 倭人(魏志倭人伝) 「其國本亦以男子爲王住七八十年 倭國亂 相攻伐歴年 乃共立一女子爲王 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫婿」 其の国もまた元々男子を王として70〜80年を経ていた。倭国乱(倭国王の座を争
ろね)またの名、意富夜麻登久邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)と記されている。 『古事記』が記す系譜によれば、蠅伊呂泥と蠅伊呂杼は師木県主波延(はえ)の玄孫に当たる。またの名「おほやまとくにあれひめのみこと」は神武天皇の名前「神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)」に類似するが、その理由は不明である。
(漢音を唐声(カラゴエ)というのに対し)呉音。 わおん。
(1)大和国(=奈良県)の美称。
日本での呼び名。 わめい。