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伏見宮邦道親王 大宰帥の辞令(口宣案)(「伏見宮代々位記宣旨類」) 上卿 姉小路中納言 慶安四年十一月十三日 宣旨 無品親王邦道 宜任太宰帥 藏人頭右大辨藤原俊廣奉 (訓読文) 上卿 姉小路中納言(姉小路公景従二位権中納言) 慶安4年(1651年)11月13日宣旨 無品親王邦道(伏見宮) 宜しく太宰帥に任ずべし
伏見宮邦頼親王(ふしみのみや くによりしんのう)は、江戸時代の皇族。世襲親王家の伏見宮第18代当主。伏見宮貞建親王第2王子。幼称ははじめ孝宮、後に堯宮と改める。旧皇族11宮家全ての最近共通祖先である伏見宮邦家親王の祖父であり、第119代天皇光格天皇 (第122代明治天皇の曽祖父) の三従兄にあたる。
皇子:貞建親王(若宮、1700-1754) - 第15代伏見宮 家女房:薗氏 皇子:尊孝入道親王(静宮、1701-1748) - 東大寺別当 家女房:近藤氏 皇女:輔子女王(基宮、1710-1759) - 今出川公詮室 皇女:増子女王(比宮、1711-1733) - 徳川家重室 家女房 皇子:道承入道親王(直宮、1696-1714) -
第八王子:邦茂王(1530-1570) 生母未詳 第一王子:某王(1544-1555) 第五王子:尊朝法親王(1552-1597) - 天台座主 第六王子:守理法親王(?-?) 第七王子:最胤法親王(円明院、1563-1639) - 天台座主 第一王女:智曉(?-?) 第二王女:某女王(1563-1578) 四親王家御系譜
伏見宮貞常親王(ふしみのみや さだつねしんのう)は、室町時代の皇族。二品式部卿。世襲親王家の伏見宮第4代当主。 貞成親王の第二王子。母は庭田経有(宇多源氏)の女の庭田幸子(敷政門院)。後花園天皇(現在の皇室の祖)は兄、称光天皇は三従兄にあたる。御息所は庭田重有の女の庭田盈子。後花園天皇の猶子。 妃:庭田盈子
伏見宮第22代および第24代当主。 幼名は敦宮。親王は初め妙法院を相続したのち孝明天皇の養子となるが、伏見宮貞教親王薨去のため、1862年(文久2年)旧暦11月に還俗し家督を継ぐ。1864年(元治元年)いったん伏見宮を離れ家督を父宮の邦家親王に渡す。そして1872年(明治5年)、再度伏見宮を継承し第24代当主となる。
の断絶とともに伏見宮領に組み込まれた)。 応永32年(1425年)2月、称光天皇の皇太弟小川宮が没すると、貞成はかねてから病弱で継嗣もなかった天皇の皇儲の候補となり、4月16日には後小松院の猶子として親王宣下を受けた。しかし、このことは天皇の逆鱗に触れることとなり、貞成はわずか3カ月後の閏6月3日に
東本願寺光浄宝如室 第7王子:某王(苞宮、1816) 第9王女:宗諄女王(1816-1891) - 霊鑑寺門跡 第10王女:政子女王(1817-?) - 錦織寺宅慈養子、高田瑞泉寺室 第11王女:隆子女王(1818-1860) 第8王子:尊常法親王(1818-1836) - 一乗院門跡 第9王子:某王(和宮、1819)