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1942年(昭和17年)12月15日:解隊。残存艦は第1潜水隊に編入。 横須賀鎮守府籍の伊24、巡潜乙型の伊25・伊26で編成。L2型からなる先代の第4潜水隊が、所属艦の除籍により1940年(昭和15年)4月1日に解隊されて以来、3代目となる。昭和17年8月10日に解隊され、所属艦は第2潜水隊に編入された。
1942年(昭和17年)5月20日に改称、艦番に100を加えた。 伊号第百六十八潜水艦 ← 伊号第六十八潜水艦から改称 1934年(昭和9年)7月31日竣工(呉海軍工廠)。1943年(昭和18年)7月27日 ラバウル北方で米潜「スキャンプ」の雷撃をうけ沈没。 伊号第百六十九潜水艦 ← 伊号第六十九潜水艦から改称
1942年(昭和17年)5月20日に改称、艦番に100を加えた。 伊号第百六十五潜水艦 ← 伊号第六十五潜水艦から改称 1932年(昭和7年)12月1日竣工(呉海軍工廠)。1945年(昭和20年)6月27日マリアナ沖で航空機の爆撃を受け沈没。 伊号第百六十六潜水艦 ← 伊号第六十六潜水艦から改称
輸送任務に従事したが、1隻が事故で失われ、残りも総て戦没した。 伊号第百七十六潜水艦 1942年(昭和17年)8月4日竣工(呉海軍工廠)。1944年(昭和19年)5月16日 ブカ島南東で米駆逐艦の攻撃を受け沈没。 伊号第百七十七潜水艦 1942年(昭和17年)12月28日竣工(神戸川崎)。1944年(昭和19年)10月3日
伊百五十六型潜水艦(いひゃくごじゅうろくがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海大III型b(かいおおさんがたビー)とも。全部で5隻が建造され、1隻が戦前に事故で沈没、1隻が戦没、残り3隻は戦後に海没処分された。 本型(海大3型b)は巡潜型の設計を取り入れ、前型(海大3型a)と比べ艦首の形状を鋭角とし、凌波性を改善した。
伊百二十一型潜水艦(いひゃくにじゅういちがたせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦の艦級。機雷潜型(きらいせん)や機潜型(きせんがた)とも呼ばれる。日本海軍が建造した唯一の機雷敷設用潜水艦で同型艦は4隻。太平洋戦争で3隻が戦没した。1938年(昭和13年)6月1日に伊二十一型潜水艦(いにじゅういちがた)より改名。
鏡の振動が激しく、双眼鏡が震えて見張りが非常に難しかったという。 電測機器としては、全艦が竣工時に水上警戒用電探である22号電探と、逆探を搭載していた。また1945年(昭和20年)以降は、対空警戒用電探である13号電探に加え、新型逆探や水中充電装置を搭載した。本型で最初に水中充電装置を搭載したのは、
1943-44年のマル戦計画により太平洋戦争末期に建造された潜水艦。潜航時の船体抵抗を抑えた設計、ドイツより技術導入した溶接に適した高張力鋼St52による全溶接船体構造 、そして建造期間短縮と大量建造に適するブロック建造を取り入れ毎月1隻の完成を目標としていた。23隻が計画され、8隻が起工