语言
没有数据
通知
无通知
伊号第六十潜水艦(いごうだいろくじゅうせんすいかん)は大日本帝国海軍の潜水艦。海大3b型(伊156型)の4番艦。 1923年(大正12年)の大正12年度艦艇補充計画により佐世保工廠で1927年10月10日に起工。1929年4月24日に進水し、潜望鏡等の搭載を行って12月24日に竣工した。佐世保鎮守
哨戒艇は発光信号で応答を求めてきたため、搭載機を発進させると同時に潜航した。2時間40分後、戻ってきた搭載機と会合し、空母1、巡洋艦9、小型艦6隻の在泊を報告。7日、PBY カタリナ2機に発見され、2度ほど攻撃を受けるが被害はなかった。8日にもカタリナに発見され攻撃されたが、被害はなかった。15日、
7ノットに低下している。同様にモーターの出力も1,200馬力から600馬力となり、水中速力は6.2ノットに低下した。反面巡潜甲型に比べて燃料搭載量が50t程度増えており、航続力は増大している。竣工が昭和19年であることから22号電探を装備していたと推定されるが、図面と写真が現存しておらず確認不能である。
日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。 ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.70『昭和十三年九月二十日(内令八〇五)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦一等ノ部中陽炎型ノ項中黒潮ノ下ニ「、親潮、夏潮、初風」ヲ加フ|潜水艦一等ノ部伊一六型ノ項中伊號第十六ノ下ニ「、伊號第十八、伊號第
伊号第十七潜水艦(いごうだいじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第十七潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の2番艦。アメリカ合衆国本土を艦載砲で攻撃した最初の潜水艦として知られる。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備補充計画(③計画)により、1938年(昭和13年)4月18
伊号第十六潜水艦(いごうだいじゅうろくせんすいかん、旧字体:伊號第十六潜水艦)は、大日本帝国海軍の伊十六型潜水艦の一番艦。 1937年(昭和12年)の第三次海軍軍備充実計画(③計画)で建造が計画され、1937年9月15日に三菱重工業神戸造船所で起工。1938年(昭和13年)6月1日、艦型名が伊十六
アレスを潜望鏡偵察。6月17日、特設巡洋艦報国丸(大阪商船、10,438トン)、愛国丸(大阪商船、10,437トン)と合流し、燃料補給を受け、第1次訪独潜水艦として、零式水上偵察機、九一式航空魚雷の設計図、八九式空気魚雷14本、零式水上偵察機、シェラック660キロ、雲母840キロを積んで枢軸国の友邦
伊号第四十潜水艦(いごうだいよんじゅうせんすいかん、旧字体:伊號第四十潜水艦)は、大日本帝国海軍が用いた伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の1番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の21番艦。 1941年(昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、呉海軍工廠で1942年3月1