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馬寮(めりょう/うまのつかさ)は、律令制における官司の一つ。唐名では典厩(てんきゅう)。左馬寮(さめりょう/さまりょう)と右馬寮(うめりょう/うまりょう)に分かれていた 諸国の牧(御牧・官牧)から貢上された朝廷保有の馬の飼育・調教にあたった官職である。諸国から集められた馬は馬寮
馬寮監(めりょうげん)は、律令制において、馬寮を統轄する職で、左右馬寮の頭(長官)より上位にあった。令外官の1つ。 藤原宮から出土される木簡の中には、単に「馬寮」と記されたものがあるが、これと馬寮監が同じものであるか否かは不明である。 史料における初出は『続日本紀』巻第五の和銅4年12月(712年1月)の
唐名:計部郎中、金部郎中、比部郎中、度支郎中) 助(正六位下 唐名:度支員外郎、金部員外郎、比部員外郎) 允(唐名:度支部郎) 大允(正七位下) 少允(従七位上) 属(唐名:度支主事、金部主事、比部主事) 大属(従八位上) 少属(従八位下) 算師(従八位下 唐名:度支計吏、金部計吏、比部計吏)-計算を専門に行う
した。特に施設管理業務には人手がかかったため駆使丁や今良など大量の人員を擁した。掃部寮と職掌が重なる部分もある。808年(大同3年)には官奴司を併合して官奴婢・官戸の管理も行った。同様の官司として春宮坊の主殿署、後宮の殿司、斎宮寮の殿部司などがある。 後に長官は小槻氏が相続・世襲した。 頭(従五位下相当)
主税寮(しゅぜいりょう)は、律令制において民部省に属した機関。和訓は「ちからのつかさ」。唐名は倉部。 養老律令によれば、主な職務は「倉廩(倉庫)の出納、諸国の田租、舂米(律令財政運用の基本単位である白米)、碾磑(水車で動かす臼)の事」と記されている。 主税寮は主計寮が調の税収監査を行って中央財政を管
⇒ うまぬし(馬主)
(1)馬の持ち主。 ばぬし。
馬の持ち主。 ばしゅ。