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一色氏(いっしきし)は、日本の氏族(武士)。清和源氏義国流で足利氏の一門。足利泰氏の子一色公深は、三河国吉良荘一色(愛知県西尾市一色町)を本貫とし、一色氏を名乗った。 室町幕府開府当初は九州探題として筑前国にあったが、後には侍所所司に任ぜられる四職の筆頭となり、また若狭国・三河国・丹後国などの
一色 満範(いっしき みつのり)は、室町時代の武将、守護大名。丹後一色家当主。 元服に際して将軍・足利義満より偏諱を受けて満範と名乗る。 明徳2年/元中9年(1391年)、山名氏清・満幸が室町幕府に対して挙兵した明徳の乱で父・一色詮範と共に軍功を上げ幕府内での地位を高め、翌明徳3年(1392年)正
慶長12年(1607年)に義直の家督を継いだ実子照直が嗣子がないまま病死した。そのため、隠居していた義直が再び家督に復した上で、嗣子となるべき血族を探し養うよう幕府より恩命を受けた。義直の娘婿にあたる杉浦直為の子で義直の外孫にあたる直氏が養子となった上で、一色家を相続することとなった。寛永16年12月10日(1640年
今川 範氏(いまがわ のりうじ)は、南北朝時代前期の守護大名。駿河今川氏の第2代当主。 文和2年(1353年)に父範国から家督を譲られて当主となる。しかし父が存命し、武将として弟の貞世の方が優れていたため、影が薄い存在であった。ただし、実際の家督は貞世が相続していた可能性もある。
000石を賜る。慶長12年(1607年)、照直が嗣子がないまま病死した。そのため、義直は再び家督に復し、嗣子となるべき血族を探し養うよう幕府より恩命を受け、義直の娘と旗本の杉浦忠次郎直為の間に生まれた長子・吉十郎を養子とし直氏と名付けた。ただし、義直の養老料、照直の加恩分は収公された。
┃ 清長 ┃ 安長(色部又四郎、赤穂事件) ┃ (数代略) ┃ 久長(色部長門、戊辰戦争) 井上鋭夫 編 『色部史料集』 新潟史学会 1968年 田島光男 編 『越後国人領主色部氏史料集』 神林村教育委員会 1979年
(1)一つの色。 ひといろ。
室町幕府四職家の一。 清和源氏。 足利氏の支族。 三河国吉良庄一色を本拠地とし, 最盛期には三河・若狭・丹後三国の守護となり, 幕府内でも重きをなした。 一七世紀半ばに断絶。